|過敏性腸症候群
60代
本症例は、数か月前に感染性腸炎を発症し、その後も消化管症状が長引いていたケースである。
感染性腸炎により数日間の入院加療を要し、血液検査上の炎症反応(CRP、白血球数)は速やかに正常化した。
ところが退院後1カ月経っても、下腹部のシクシクとした断続的な違和感や、急に起こる腹痛と下痢が続いていた。
心配になり受診したが、内視鏡検査では異常を認めず、過敏性腸症候群と診断された。
その後、イリボー錠およびビオフェルミンが処方され、一定期間服用されたものの、症状の改善は乏しく、日常生活にも支障を感じる状態が続いていたことから、漢方相談に来局された。
来局時には、これまでの検査結果や処方内容をきちんと整理して持参されており、ご自身の体調変化についても丁寧に把握されている様子が印象的であった。
その一方で、「また症状が出るのではないか」という不安や、症状への注意が向きやすい状態もうかがわれ、本症例を理解するうえで、無視できない要素の一つと感じられた。
過敏性腸症候群は、腸に明らかな器質的異常(検査で確認できる異常)が認められないにもかかわらず、脳腸相関の乱れを背景に、腸管運動の調節異常や内臓知覚過敏が生じる疾患である。
とくに感染症後の症例では、腸の炎症が落ち着いた後も、感受性や運動のバランスが不安定な状態として残ることがある。
また、不安や緊張が続くことで自律神経を介して腸管機能に影響が及び、通常であれば問題とならない腸の動きを、腹痛や便意として強く感じやすくなる。
食後に症状が出やすいのも、こうした過敏な状態にある腸が、生理的な消化管運動に反応していると考えられる。
本症例においても、感染後に残った腸の過敏性に加え、症状に対する不安が重なることで腸の反応性が高まり、症状が長引いていたと推察された。
そこで、腸管の機能的な乱れを整えながら、過敏となった反応性を落ち着かせることを目的に煎じ薬を調合した。
消化管全体のバランスの乱れを整えることで、腸の過敏性を和らげるとともに、腸と神経系の相互作用にも働きかけることを意図したものである。
その結果として、腹部症状だけでなく、不安や緊張の緩和にもつながることを期待した。
服用開始後2週間ほどで、これまで頻発していた急な腹痛は徐々に軽減し、症状も落ち着いてきた。
その後、腹部の差し込むような痛みに対応する形で調整したところ、以降は症状の波も落ち着き、安定して推移した。
最終的には、腹部症状はほとんど気にならない程度まで改善し、便通もほぼ通常の状態に回復した。
あわせて睡眠状態も良くなり、症状に対する不安も和らいだことで、これまで絶えず気にかかっていた不調から解放され、全体的な体調の安定を実感できるようになっていった。
本症例のように、感染性腸炎の後に腸の機能異常が残り、過敏性腸症候群へ移行するケースは少なくない。
こうした経過は、感染後過敏性腸症候群(post-infectious IBS)として知られており、本症例もその一例と考えられた。
検査では異常がみられないにもかかわらず症状が続く場合、腸管機能と自律神経の双方に目を向けて整えていくことが重要である。
とくに本症例のように、感染後に腸の過敏性が残存しているケースや、心理的要因の関与が示唆されるタイプでは、漢方治療が有効となることも多い。