|機能性ディスペプシア
50代
1カ月ほど前から空腹感が乏しくなり、食後の膨満感や心窩部・肋骨弓下の重苦しさを主訴として来局された。
発症の時期を振り返ると、ちょうどストレスのかかる状況が続いていたという。
胸やけや呑酸といった胃酸過多や逆流性の症状はなく、「胃の動きが悪くなっている感じがする」という訴えが特徴的であった。
食事量は徐々に減少し、1日3食から2食程度となり、1カ月で体重は約3kg減少していた。
すでに消化器内科を受診しており、胃カメラ検査では潰瘍や腫瘍などの器質的異常は認められず、機能性ディスペプシアと診断されていた。
検査時には前日の食事が胃内に停滞しており、胃排出機能の低下を示唆する所見も確認されていた。
機能性ディスペプシア(FD)は、内視鏡などの検査で明らかな器質的異常がみられないにもかかわらず、胃もたれや膨満感、早期満腹感などの上腹部症状が持続する疾患である。
治療薬として六君子湯およびアコファイド錠が処方され、約1カ月服用を継続していたが、症状の改善はみられなかった。
六君子湯は機能性ディスペプシアに対して広く用いられる処方であり、食欲低下や胃の働きの低下が主体となる症例では有効に働くことが多い。
しかし本症例では、食欲低下よりも食後の膨満感や心窩部の停滞感が目立ち、内視鏡検査でも胃内容停滞が確認されていた。
すなわち、胃の働きそのものの低下というよりも、胃の運動が停滞している状態が中心であったと考えられた。
このような胃排出遅延が主体となるタイプでは、六君子湯のみでは十分な反応が得られないこともある。
相談時は終始落ち着いた様子で、物事を丁寧に整理しながらお話しされる姿が印象的であった。
ご本人は「物事を考えすぎてしまう」「不安になりやすい」と話されており、精神的緊張が身体症状に影響している様子がうかがえた。
機能性ディスペプシアでは、精神的ストレスが自律神経、とくに迷走神経の働きに影響し、胃の蠕動運動や胃排出機能を低下させることが知られている。
本症例も、ストレス状況を契機として胃の運動調節が乱れた、いわゆる「ストレス誘発型の胃排出遅延型FD(精神的ストレスが引き金となり胃の動きが鈍くなるタイプ)」と考えられた。
さらに胃腸機能は自律神経、とくに迷走神経を介して密接に調節されている。
精神的ストレスは迷走神経の働きを低下させ、胃運動を弱める。
一方で、胃内容の停滞や膨満は迷走神経求心路を介して中枢神経系に伝わり、自律神経のバランスに影響することもある。
こうした双方向の関係があるため、胃腸機能を整えることが結果として自律神経の安定につながるのである。
そこで今回は、胃腸の動きを整えると同時に精神的緊張の影響にも目を向け、柴胡剤を基礎とした煎じ薬を調合した。
まず2週間分の煎じ薬をお出しした。
2週間後の再診時には、食欲は回復傾向を示していた。
一方で胃の動きそのものはまだ鈍い感覚が残っており、さらに気持ちの不安定さや耳閉感といった症状もみられていた。
この段階では、胃腸機能の回復がみられる一方で、精神的緊張はまだ十分に解けていない様子であった。
そこで精神的緊張の緩和と自律神経の安定を図る目的で処方内容を調整した。
服用開始から1カ月ほど経過した頃には、心窩部の重苦しさはほぼ消失し、食事量も徐々に回復してきた。
耳閉感についても「以前ほど気にならなくなってきた」と話されていた。
その後も体調は安定して推移し、食欲や胃の調子はほぼ元の状態まで回復した。
最終的には約3カ月で治療を終了することとなった。
機能性ディスペプシアは、検査では明らかな異常が見つからない一方で、精神的ストレスや自律神経の状態が症状に影響することが少なくない。
胃そのものだけでなく、身体全体の調節機構に目を向けながら治療を行うことが、改善につながる場合もある。
体調の回復を大変喜ばれており、お力になれたことを私自身もうれしく思った。
何よりも、患者さまご自身の回復力と、毎日欠かさず煎じ薬を続けてくださったことの積み重ねによるものである。
※迷走神経:脳から胃や腸へ伸びる自律神経で、胃の運動や消化機能の調節に関わる重要な神経。
※迷走神経求心路:胃や腸の状態を脳へ伝える神経の経路。