50代
何かをきっかけに感情が急激に昂ぶり、自分でも抑えることが難しくなることがあった。こうした状態が日常生活にも影響するようになり、ご相談にいらした。
詳しく話を聞いていくと、その背景には20代前半から抱えている高次脳機能障害があった。
すでに長い年月をともに過ごしてきた障害であるが、感情が昂ぶった際の出来事については、ご本人自身がその経緯や詳細を十分に記憶していないこともある。
そのため、ご本人から聞き取れる内容だけでなく、ご家族からみた普段の様子も含めて状態を確認した。
症状は、普段から常に苛立っているのではなく、何らかの刺激を境に、感情が短時間のうちに大きく昂ぶってしまうことであった。
高次脳機能障害では、記憶や注意、遂行機能などの認知機能だけでなく、感情や行動の調節が難しくなることがある。日常のなかで、不快な出来事に感情が動くこと自体は自然な反応である。通常はその場の状況に応じて一定の調節が働くが、高次脳機能障害によってその調節がうまく働かないことも、感情が一気に昂ぶりやすくなる一因と考えられた。
煎じ薬は、抑肝散の芍薬・黄連加減方を基本とした。
抑肝散は、昂ぶった神経を鎮め、過剰になった感情の反応を和らげる処方である。
そこに芍薬と黄連が加わることで、処方の性格はさらに鋭さを持つ。芍薬は張りつめた反応を緩め、黄連は急激に高まる興奮を鎮める。感情の制御が追いつかず、一気に昂ぶってしまう今回の状態を考えると、この二味を加える意味は大きい。
大家・和田東郭は、抑肝散を四逆散の変方と捉えていた。芍薬甘草湯を合わせて用いており、抑肝散に芍薬を加える考え方は古くからみられる。
服用を始めて1か月ほど経った頃には、感情が急激に昂ぶる回数が明らかに減っていた。
昂ぶることがあっても以前ほど大きくならず、ご家族からみてもその変化ははっきりと感じられるものであった。こうした変化は家族とのやり取りにも現れ、その後も服用を継続するなかで状態はさらに安定している。
もちろん、不快な出来事に感情が動かなくなったわけではない。
変わったのは、その感情が以前のように一気に昂ぶることが少なくなった点である。感情そのものではなく、その昂ぶり方に変化がみられた。
易怒性とひとことで言っても、いつも苛立っているのか、些細なことが気になるのか、ある瞬間から急激に昂ぶるのかでは、その中身は随分と違う。今回の患者さまの場合、感情そのものよりも、その動き方に特徴があった。
この違いは、漢方薬を選定するうえでとても重要である。
高次脳機能障害を抱えてから、すでに長い年月が経っている。感情が大きく昂ぶる一方で、そのとき自分の中で何が起きていたのかを十分に振り返ることができず、それをうまく言葉にすることも難しいまま過ごされてきた。
周囲の困惑はもちろんだが、ご本人にもまた、ご本人にしか分からない苦しさがあるのだと思う。
この先さらに状態が安定し、ご本人にとっても、ご家族にとっても、穏やかな時間につながっていけばと思う。